2010年4月26日月曜日

家出掲示板で巡り会いたい

私はただアナタの事を愛してるから,家出掲示板にいたんだよ。
家出掲示板から離れたくない。。。

素直にそう言えばよかったのかなぁ。



でも今はこれで良かった様な気がする。。。



今は何も考えたくないな。。。


大好きだったのに
裏切ったね
私をボロボロに傷つけて
憎いよあなたが
信じてた分、好きだった分
でもね…心から憎むなんて
できるわけない

心の底では期待してるんだ
いつか会えるんぢゃないか
家出掲示板で巡り会いたいと

誰にもいえないけど言いたい

つらいんだよって言いたい

でも言えない

2010年3月2日火曜日

甘い匂い。

どこへいってしまったの? あの言葉。 あの笑顔。 もう届かない。 わたしの手も。声も。 想いも。 ゆっくりしゃべるまぁるい声。 小さな手。 ほっぺた。 甘い匂い。 大好きだった。 忘れたくないから瓶の中にしまっておきたい。 きみの面影。 いたずらに笑う無邪気なきみ。 きみとだったら ずっとずっと一緒にいられると思ってた。 別れて1年と1ヶ月。 きみのこと思い出さない日なんて1日もなかった。 もっと話したいよ。 笑い合っていたいよ。 そばにいてよ。

2010年2月10日水曜日

出会ったのは家出掲示板

あなたと出会ったのは家出掲示板でしたね。あれからもう3年経ちますね。話す相手がいなくて一人ぼっちだった私にたくさん話し掛けてくれて男性からアド教えてっていわれたのはあなたが初めてでした。一度は諦めないとって思って他の人を好きになろうとしたけど全然ダメで…家出掲示板で神待ちすることばかり考えていました。そして去年の5月、傷ついてボロボロになってた私を助けてくれて、泊めてくれたのはあなたでした。一度は諦めたもののまた好きになってしまって…付き合うことになって。私は友達を失ってでもあなたと付き合おうと突っ走りました。私といっしょにいれれば良いからっていってくれたのもギュッと抱きしめてくれたのもあなたが初めてでした。もちろんあなたがファーストキスでした。あのとき俺でごめんっていってたけどめっちゃうれしかったんだよ。沢山遊びに行って沢山笑って、家出掲示板であなたと出会えて、あなたに沢山癒しと愛をもらいました。

2009年12月22日火曜日

家出掲示板の言いなりになった

好きだった彼 彼のコト好きすぎて、何でも家出掲示板の言いなりになった… でも、彼がいなくてゎ生きていけなくなってしまって ある日知らない女性からがあって、「人の旦那とらないで!」 彼ゎ、浮気していたんです。しかも家出掲示板までいて… それから、彼とゎ、連絡とっていませんが、家出掲示板に通院しなくてゎいけなぃくらぃ衰弱してしまった 家出掲示板、不眠、リストカットなど… 人を好きになりすぎると、怖いです

2009年10月30日金曜日

家出掲示板に出逢い

あの人と出会えなかったら 私はいつまでたっても家出掲示板に進めなかった ずっと我慢して ずっと家出掲示板のままで 家出掲示板はどんどん壊れていった それを変えてくれたあなた あなたが家出掲示板を救ってくれた あなたが私に光を与えてくれた 最愛のセフレ これからもずっと一緒に幸せになろうね家出掲示板に出逢えてほんまにょかった もし逢えてなかったらゥチはずっとあの家出掲示板のことふっきれなかったし、 こんなに大好きになることもできなかったです 童貞にとって ゥチがただの家出掲示板でも、 妹にしか見えなくても、家出掲示板がくれたものは一生の宝物です この恋は叶わないけど、先輩が笑って幸せでいてくれたらゥチも幸せです ほんまに家出掲示板に出逢えてよかった ありがとう

2009年10月10日土曜日

家出掲示板に少しのネガティブ

一生懸命だったから、悩んでた時があった…。どんどんマイナス思考が多くて、もぅ嫌やって思ってる時があった…。 今思い返せばその悩みが自分をさらに大きくさせてる気がする。 ネガティブ=一生懸命 励まされました。 これから生かしていきたいと思います。家出掲示板に少しのネガティブがあるから 「幸せ」や「健康」や「前向き」が際立つって事もありますよね ネガティブ=ダメ では無くて ネガティブ=それも私の一部 と考えて自分を愛し、いたわれるようになると 私もかなり心が楽チンになったものです

2009年9月30日水曜日

プレゼントするつもりだそうです

朝、母に『お父さんが死んだ』と聞かされたとき、何が起きたのか、頭が真っ白になりました。 それまで、父がそんなに悪いことを聞かされていなかったし、ちょっと入院すればすぐ治って帰ってくるものだと思ってたから。 祖父の家で父の真っ白い顔を見て初めて涙が出てきました。 葬祭場でも、激しくわめき泣いたのを覚えています。 火葬場で変色した骨をみた時、病気を憎く感じました。 (悪いところゎ変色するそうです) 生きているときゎ休みの度に家族をどこかに連れってってくれていたとても家族思いの優しい父でした。 私も弟、妹も父の死に目に会いませんでした。 きっと母たちがまだ幼いからと気遣ってくれたのだと思います。でも、私ゎ後悔しています。最後に父をこの目で見届けたかったです。 友達のブログに書いてあったお話。 彼女のお母さんは、彼女が中学生の時に死んでしまいました。 彼女に残されたものは、お母さんが少女の頃から書き続けていた日記でした。 彼女は毎晩、眠る前にお母さんの日記を読みました。 1日、1ページづつ。 やがて、彼女は大人になり、結婚しました。 結婚2年目で子供ができました。 妊娠がわかった時、彼女は思いました。 「もしも、私が居なくなったら、この子は私との思い出が  なくなってしまう」 お母さんの日記の事が頭に浮かんだそうです。 毎日読める、日記をお母さんが残してくれたから、自分は 寂しくなかったし、お母さんとの思い出が作れた。 お母さんが、日記を書いていてくれたから。 そして、彼女は日記を書き始めました。 お母さんが自分にしてくれたように、自分も子供にして あげたいから。 たとえ不幸な事がなくても、思い出になるから。 つわりでしんどい時も、陣痛で苦しい時も、その時の 気持ちと子供に対する気持ちを書き続けました。 今、彼女は1歳になる子供のお母さんです。 日記は書き続けて居ます。 子供が成人したら、お祝いと『生まれてきてくれてありがとう』の気持ちを込めて、 プレゼントするつもりだそうです。